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執筆者の写真実行委員会

祝島島民の会・青年部の皆さんのメッセージ

上関原発計画を白紙にもどし、

みんなが健全に生きられる社会を

上関原発を建てさせない祝島島民の会・青年部部長 堀田圭介


原子力発電所を存在させて来た要素に嘘と差別があります。

このことを僕は祝島という原発問題の現地に住んで強く実感しました。

「原発は安全だ」という嘘。

これに関しては、すべての国民が3.11を境に真実を知ることとなりました。ゆえに今あるすべての原発と建設計画はその「根拠」を失いました。

しかし、既存の原発は再稼働され、新設の上関原発計画までもが強行されようとしています。

この暴挙を支えているのは利権と差別です。政府をふくめた産業体が利権の温床として原子力を利用しています。

そして、原発立地地域が必ず都市から離れた自然豊かな過疎地であること。

この地域は汚染されて住人が被ばくしてもよいから選ばれています。

また、それ以前に原発計画がもたらされた地域は必ず、反対賛成で対立が起きます。

共に助け合って暮らして来た地域が分断され、人びとの心は互いに傷つけられます。

それがわかっていて、それを織り込み済みで計画がもたらされるのです。

その地域の人たちをそういう目に合わせてよいという考えがあるから原発は建設できるのです。

これは人に対する侮辱であり、差別です。

人間に対してやってはならないことです。

建設を進めようする立場の人たちは、嘘をいい、人を欺くことが求められます。(祝島では、中国電力会社の社員が身分を詐称して島に出入りしていた事例などがあります。)胸を張れない仕事をする。これも人としてとても不幸なことです。

町は財政を原発に依存することで町民は未来を描く力を失い、地域の足並みも揃いません。本当は町の誰もが地域の存続を願っているだけなのです。

私たちは、もうこのような人間同志がおとしめ合うようなシステムを手放す時期に来ているのだと思います。

原子力産業にとって上関原発は国内新規計画の砦とも言えるでしょう。

ぜひみんなの声でこの計画を白紙にもどし、みんなが健全に生きられる社会を私たちひとりひとりの手で作って行きましょう。(2020年3月3日)





<松永 尚緒>


必要なのは想像力だと思います。

いつもの家からの風景(漁師さんにとってはいつもの漁場)にどデカイ建造物、しかも原子力発電所。

それまでも目前で美しい田ノ浦の大破壊。

失われる漁場。

という、想像しなくても大ダメージを目の当たりに出来るのは祝島島民の特権⁈です。

上関を未来にどう残すか?

どんな町なら暮らしたいか?

どんな町なら引っ越して来たいか?

働きたいか?

子育てしたいか?

帰って来たいか?

想像力を働かせてみます。

美しい上関を愛し、遥々海釣りや山に訪れる人々がいます。

子供達が安心して育てる環境があります。

いつでも帰れ癒される故郷だと言われます。

上関本来の自然と人々の豊かさの中で循環する営みがあります。

今あるこれらがずっと続き、更に経済の問題点を改善するにはどうすれば良いのか?

これからの世代の意見もどんどん取り入れ、

議論を重ねて作り上げていく時代ではないかと思います。

「今更どうにもできない」

「頼らなければやっていけない」

という今重視の視点で見る先はどんなものでしょうか?

それで経済と人々は本当に潤い続けますか?

いつまで、そして後片付けは誰が?

様々な災害や事故の事例は上関町に限っては大丈夫!という事はありえないに等しいです。

壊れたものは簡単に元に戻れません。

まず、理想の先を見据えてから、今どうすべきかを本気で議論して欲しいと、

上関町大好き一町民として、思います。





<清水 康博 29歳>


『原発反対!』、『エイエイオー』。子供の頃、月曜日の夕方になると家の外から聞こえてきた声。家の中では当時80歳くらいだった祖母がその声に目をつむりながら耳を傾ける。普段やさしい島のおじちゃんおばちゃんたちが血相を変えて必死に戦っている姿をテレビのニュースで目にする。何と戦っていて、何に怒っていて、何が起こっているのか当時の僕はあまり分かっていなかった。ただ、『子や孫のために』というフレーズは、強く耳に残った。

高校進学と同時に島を離れ、卒業後7年間本土で働き、2016年、25歳で島にUターン。子供の時からお世話になっていたおじちゃんおばちゃんたちとまた共に生活することができ、大好きなここ祝島のために自分の労力を使えることが本当に嬉しく感じられた。原発反対運動にも加わり、毎週月曜日の島内デモ、県庁前での抗議行動や現地での監視行動にも参加している。

ここ10年の間に多くの若い人(50代も含む)が島に移り住んできている。Iターン、Jターン、Uターンさまざまであるが、一緒に生活していて皆に共通して感じられることは【祝島が好き】という気持ちである。文化、風土、自然、そして人。好きな【祝島】は人それぞれであるがそれでいいと思うし、それが良いと思う。島のおじちゃんおばちゃんからも愛郷心が常に感じられる。この【祝島愛】が若者、お年寄り、そして移住者を繋いでいると僕は思う。

今は少し分かるようになった。38年間、島の人達は何と戦っていて、何に怒っていて、何を守ろうとしているのか。僕たちは原発に反対するために祝島に住んでいるのではない。祝島では今まで通り、自然に生かされながら生活がしたいから原発に反対しているのだ。そして、これからもここに住み続け、伝統・文化を引き継ぎ、子や孫に繋ぐ。それが僕たち若者ができる一番有効な原発反対運動である。現に今、僕たちが祝島で生活できているのは先輩方がそうしてきてくださったからである。

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